4月6日(日曜日)
春ですね。「春は名のみの春」という言葉がありますが、連日の雨模様と冷たい風に、満開だった桜が散って、道を薄桃色に染めています。
それでも陽射しがそそぐと、春爛漫の美しさで景色が輝き、風もやわらかく感じられるようです。
昨年の6月から季節がめぐり、年も変わり、この春を迎えて、ずいぶん久方ぶりの文をつづります。
新刊が3月20日に出ました。光文社の知恵の森文庫、「私たちは幸せになるために生まれてきた」です。3年前に出版した単行本(毎日新聞社刊)を文庫にしたのですが、2ヶ月かけて手を入れ、加筆、訂正して新しく生まれ変わりました。
タイトルは、本文の中でご紹介した、松本サリン事件の被害者、河野義行さんの「人はみんな幸せになるために生まれてきたのだと思っています。自分がいちばん幸せを感じることをすべきではないでしょうか」という言葉からとりました。
ほんとにそのとおりと思いたいし、そうありたいものです。
この本の内容については、前書きに、こう書きました。
「私が出会った人たちや、体験したこと、ぜひ伝えたいと思ったことなどをつづりました。人生への肯定感、人間の素晴らしさを、きっと実感していただけるのではないかと思います。
たとえ、どんな状況下や境遇のなかにあっても、よりよい方向へと歩んでいく力と、生きている意味を、この本の一話一話から受け取っていただけたら、ありがたく幸せです」
文庫になって良かったことの一つは、単行本の大変な間違いを直すことができたことです。文庫にならなければ、気がつかないままの大変な間違いでした。
全部で二十話の中の、第十話「民草の願い」。友人のお舅さんの戦争体験をテーマにしています。民草という言葉を辞書で引くと、「人民」以外に、広辞苑には、もう1つ記載されていました。
「民がふるえるさまを草にたとえていう語」 単行本では、これを引用して、戦争体験へとつなげました。最後のまとめにも、再度、引用したのでした。
ところが、文庫にするために、光文社の校閲が調べたら、私の広辞苑の読み間違いがわかりました。実際は、「民がふえるさまを草にたとえていう語」だったのです!
「ふえる」と「ふるえる」では大違い。私は、単行本で、間違った言葉の意味を伝えてしまったことになります。とんでもないことです。単行本(その前の連載も)を読んでくださった方たちに、謝るばかりです。申し訳ありません。ごめんなさい。
文庫では、しっかりと書き直しました。間違いを正すことができて、冷や汗とともに、ホッとしています。ああ、良かった。
「民草の願い」では、この間違いの他にも、かなりの加筆をしました。友人のお舅さんは、戦争中、インパール作戦を生き延びた方です。敗戦時、ビルマで捕虜になったとき、戦犯の裁判を待っていた日本兵から、小さな紙切れ(遺書のような手紙)を託されます。日本の家族に渡してほしいとのこと。お舅さんは、その紙切れを靴の底に隠して日本に持ち帰るのですが、それをずっと手元に持ったまま、数年前に人生を終えました。
なぜ、ご家族に渡してあげなかったのか、その後、紙切れはどうなったのか。
単行本では、その辺りが不十分でしたが、文庫で詳しく書き足すことができました。
戦争を体験した人たちが少なくなっていく中、その体験を継承していくことの大切さを、あらためて痛感します。再び日本が戦争する国にならないためにも。
戦争が生み出すのは、計り知れないほどの不幸。私たちは、不幸になるために生まれてきたわけではないはず。
文庫の後書きに、こう書きました。
「幸せの大前提は、何よりも平和であることでしょう。平和という幸せは、決して手離してはいけないと、いま一度、胸に刻みこみたいです」
万物のいのちが輝く春。生きとし生けるものが幸せであれと、願うばかりです。
携帯を使っての久しぶりの書き込み。新刊のお知らせと、「民草」の間違いについての謝りでした。